創立者張建邦博士 107年5月26日逝去 将来を見通すヴィジョンを備えた教育家

Post Date: 2018/6/1
 本校の創立者張建邦博士が5月26日午前10時01分、台湾大学病院で逝去した。九十歲で、臨終の時には家族が付き添っていた。張創立者は台湾の国家社会に幾多の貢献を果たし、政治の実務でも、読書人の誇りを持って公職において市民のために手腕をふるい、将来を見通すヴィジョンを備えた知識で教育事業に携わり、アメリカ・イリノイ大学の教育行政学博士の専門を活かして、高等教育人才の育成に熱心に取り組み、教育に最後まで常に心を砕いて、多くの人々に恵みをもたらした教育家であった。2017年には卒業生が集めた寄付金で守謙国際会議センターが落成し、本校は正に第五波の時代に入った。張建邦博士夫妻は特に三億元を寄付して「パンダ講座」基金を設立し、国際的に知られた著名人クラスの優れた人材の講座を設けて、本校の学術水準と栄誉を高め、本校の第五波の精神である国際的な先端的大学を目指すことにした。淡江大学の多数の卒業生がその熱心な教育の様子を回想し、逝去のニュースが伝わると、淡江卒業生および教職員在学生は哀悼の念を共にした。
 張創立者は、宜蘭の羅東の出身で、上海の聖ヨハネ大学経済学科を卒業し、アメリカ・イリノイ大学で農業経済学修士、教育行政学博士を授与された。1969年から1989年には台北市議会副議長、議長を歴任し、1989年には交通部部長に選出され、1997年に総統府顧問となった。その間に北部第二高速道路、桃園国際空港第二ターミナルおよび台北宜蘭高速道路(雪山トンネル)、さらに高速鉄道の企画をおこない台湾全島の交通網を完成させた。 
 1950年、父の張驚声先生が淡江英語専門学校を開設し、台湾で初めての台湾人創立の高等学府となり、英語専門学校の教務主任、文理学部副学部長、学部長を歴任し、1980年には学長を継ぎ、以後、本校の国際化、情報化、未来化の三化教育理念が定まり、1999年に本校は「世界未来学研究連盟」から最も優れた未来学研究機構として表彰された。張創立者は同時に積極的に「専門、常識、課外活動」カリキュラムと「徳、智、体、集団、美」の「三環五育」教育の理念によって、淡江の学生を「樸、実、剛、毅」の校訓の下で薰陶し、心身共に卓越した淡江人として育ててきた。本校六十周年創立記念では卒業生が映画『あの頃、淡江が私たちに教えてくれたこと』を制作し、張創立者はその中でインタビューに答えて、「淡江は言ってみれば私の第二の生命で、六十年精力を傾けてきた。いつも卒業式に参列して感じるのは、子どもたちが巣立っていくのは忘れられないということだ」と語っている。
 張創立者の言動は、多くの教員学生に深い影響を与えてきた。金鷹賞受賞の卒業生・実踐大学陳振貴学長は張創立者の厳格な教育を回想し、「当時、張学長はアメリカから未来学の書籍を持ち帰り、私も翻訳に協力したことを今でも覚えている」(淡江時報1017期)と述べた。英語専門学校第一回卒業生で80歳を超えた黄連富さんは、今の守謙会議場の場所は、学生時代は運動場だったのを思い出す。創立者は学生と一緒に運動会に参加し、学生と一緒になって動き回っていた(淡江時報1061期)と語る。金鷹賞受賞の卒業生馮啓豊さんは入学の時、張創立者が述べた校訓の解釈が印象にとても深く残り、その後「樸実剛毅」の校訓Tシャツを着て、全米五十州をランニングで周った」淡江時報1049期)と語っている。
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